本日から
本日、初めて子どもたちと出会う。
「出会いをデザインしよう!」とか
「初日に子どもたちに伝えたい3つのこと!」とか
そういう記事を昔だったら書いていたのでしょうね。
今までだったら、初日に徹底したい指導項目を
「返事」
「さようならの挨拶」
としていた。
昨年度は、幸か不幸か、コロナで初日の出会いなどはなんとなく
うやむやになり、学級のルールなどもビシッと線引きせをせぬまま
学級で必要に応じて、その都度
「こういうときは、こうしよう」
と、子どもたちとルールを緩やかに決めてきた。
冷や冷やする毎日であったが、
明確なルールがないが故に、ピリピリしながら指導せずに済む場面も多くあったと思う。
反面、ルールがないが故に、不安に感じていた子もいただろうし、かえって身動きが取れず、周りを伺って一年を終えてしまった子もいるだろう。
今年はルールではなく、教師側の要望ははっきりと伝えようと思う。
学級のルールとして、「やるべきもの」に据えるのではなく、
「担任からのお願い」として、お願いしてみる。
昨年の学級のテーマは
「もう一度やり直したいと思えるクラス」
人は誰しもミスをする。取り返しのつかない過ちも犯す。
それでも、生きていくには社会復帰しないとなかなか辛い。
それを身をもって知ったからこそ出てきたクラステーマだったと思う。
だから、去年は今までにないくらい子どもたちに
「ごめん!」と謝った。
授業に1分でも遅刻すれば「ごめんなさい。遅くなりました!」といそいそと教室に入ったし、感情的に叱ってしまったら
「ごめん。あれはただ怒りをぶつけただけでした」と謝った。
すごく勇気のいることで、正直しんどかったけど、
自分が謝ることで、「いやいや大丈夫ですよ」と
「謝ったら許される」というなんとも温い空気は醸成されたように感じた。
さて、今年のテーマは
「分断を生まないクラス」
なぜ、こんな面倒なテーマを掲げるかというと
残念ながら今の学校の職員室に分断の兆しが見えるからだ。
これは、むしろ私自身も職員室の人間たちを分断して捉え始めているからだろう。
価値観の相違。美しくない関わり合い。
そうした恐怖のかけらを拾い集めて、私自身が職員同士を
「あの人は◯◯派」などと、一括りにして見ているのがよろしくない。
「分断を生まない」ということが「派閥を生まない」となると
いかにも薄っぺらな感じがするが、両者はつながっていると思う。
「分断を生まない」ということは、「一人一人の足で立つ」ということなのかもしれない。安易な共感に流されず、自分の思いを表明すること。
と、いうと「一人ひとりのキャラクターが際立つクラス」でもいい気がするけど、それだとありきたりだし、やっぱり
「分断を生まないクラス」がしっくりくる気がする。
集団において「分断を生まない」ということは、どういうことなのか私じしん探究して行こう。
いずれにしろ、心理的安全性の高いクラスを目指して
今日から、とぼとぼと歩いて行こう。
スタートダッシュなんて野暮なことは、しない。多分。
学校再開初日。子どもたちに伝えたいこと
お互いの思いを丁寧に聴きあおう
自治体からは、子どもたちの安心安全を第一に、メンタルケアを重視して関わっていこう、というような内容で指示が出ている。
実際よく分からない状況なのに、安心安全の空気感を醸し出すために
「大丈夫だよ。先生がついてるよ。学校には仲間がいるよ」
なんていう無責任なことは言えない。
自覚症状のない感染者に怯えているのに、「先生がいるよ。仲間がいるよ」などと言っても、「だから怖いんじゃん。だからソーシャルディスタンスが必要なんでしょ?」と、いう話だ。
互いが思う現状を確認し、どのように過ごしていくのが良いか、みんなで知恵を出し合うことが、安心安全につながると思う。
互いが思う「現状」もまた、人それぞれだろう。
「いや、もう大丈夫だろ」と楽観的に思っている人もいるだろうし、まだまだこれから「第二波がくる」と信じている人もいるはずだ。
「まあ、このくらいなら大丈夫かな?」と、線引きするところは、人による。そのことを知った上で、お互いにとってのベストな関わり方を、時間をかけて模索していくしかないのだろう。
学校生活においても、社会で生活していく上でも、「まあ、このくらいなら大丈夫かな?」という線引きをしつつ、人と関わっていく。
一人で神経質になりすぎればしんどいが、「これくるいなら大丈夫?」とオープンに聞いて、関係性をつくっていけば、人との関わりはさほど、苦にはならないのだろうか?
自分の価値観をぶつけることもなく、相手の価値観が正しいのだと、打ちひしがれることなく、対話的な姿勢で互いの価値観を受け止めて、最適な行動がとれればいい。
全ては、一人一人の傾聴にかかっているのかもしれない。
まずは、私自身が傾聴の姿勢を貫いて、子どもとの対話を楽しんでいきたいものだ。