明日もまた もう一度

小学校教員の備忘録

なるほどなるほど

子どもたちとの出会いから2日目。

給食なし4時間授業の日。以下のことを行った。

 

⓪プレ朝の会

①自己紹介カード作成

②からの私は誰でしょうクイズ

③教科書配付

④国語の詩の視写

⑤休み時間:増え鬼

⑥47都道府県の漢字テスト 自習

⑦日直の仕事決め

帰りの会の内容決め

⑨窓の開け閉め、黒板消し、電気をつける・消す、机整理などの責任者決め。

 

なんというか、静かすぎて、メリハリが効きすぎて、淡白にサクサク進んでしまった…という印象。

 

昨日、呼名を待たずして学校便りを受け取った彼は、本日とファインプレーを連発していた。

リアクションが絶妙で、教師の問いかけによって起こる、お見合い的な淀みを一掃してくれるのである。

 

その時歴史は動いた、どころの騒ぎではない。間違いなく、「その時、彼がクラスを動かした」瞬間がたくさんあった。

 

職員室に帰って、報告すると訳知り顔で

「彼が良い方に転ぶ時は、すごくクラスにプラスになるんだよね〜」

と、宣う教員がいた。

 

「あー、ですよねー」と言いつつ

暗に「最初だから頑張ってるんだよ」と、水を差されたようで、なんだかがっかりとした気持ちになった。

そして、猛烈に彼に肩入れしている私がいた。

 

うっせぇわ!

あなたに何が分かる。

彼の粋がらずにいられない弱さや悲しさ。

おちゃらけてみる虚しさ。

薄っぺらな言葉に込み上げる怒り。

そういう、諸々の七転八倒を一括りにして

「良い方に転ぶ」ってなんだ。

誰も転ばせてない。

今日は彼が「そちら」に向かった。

彼にとっても、彼が所属する集団にも「良い方向」に向かおうと、彼の意思で、彼自身の足で向かった。

少なくとも、今日私はそう感じていた。

 

昨日の私が聞いたら驚いて腰を抜かすだろう。

昨日の私は彼のせいで、出鼻を挫かれたと思っていたから。

 

つまり、心とはこれだけ振れ幅がある。

弱さというよりも、本当に脆くうつろい易いものなのだ。

ひと時として同じように在れない。

 

カッツンカッツンとぶつかり合う2つの球状の振り子のように。

高い位置エネルギーを運動エネルギーに変え、衝突により、もう一方は新たなエネルギーを得る。

 

我々の心が本当の意味で安定してしまったら、それは鬱病の末期である。

心の熱エントロピーは絶えず上下しているがゆえに、動的である。

 

多分そうだ。

 

今年は初任の子が私の職員室の席の目の前にいる。

彼がもし、クラスでいいことがあったと報告してきたら全身全霊をもってこう言おう。

「それは嬉しい。とても喜ばしいことだね」

その一言でいいんだ。