明日もまた もう一度

小学校教員の備忘録

行き場を無くした圧力が向かう先

昨日、揉め事2件。

 

渦中に同じ子がいる。

昨年度の申し送り事項のある子だ。

 

教室にいることができず、友達関係のトラブルが多かったらしい。

 

本日は友達とのトラブル2件。

 

どちらも私がちょっと目を離した時のことだ。

 

昨日の授業は今ひとつ泣かず飛ばずであった。

 

ここ最近、私は彼を褒めて褒めて認めて認めてを繰り返している。

それゆえに彼はずっと私の前で気を張っているのだろうか。

 

褒めるという、一見温かな行為も

条件付きで相手の存在を認めることを宣言しているようなもので

「いい子でいろよ」

という暗黙の圧力に容易く変質する。

そのその圧力の反動が友達に向かったのだろうか

 

そして、本日4時間目。

別な男子数名が、ふと目を離した時にじゃれ合う。走り回る。

私がドカンと炸裂した。

 

係活動の中弛みした時間。

今朝は朝から授業がピタリとハマり、4時間目の学活の時間のデザインは実に大雑把なもので、完全に油断していた。

 

昨日からの不安と、疲れと、給食前の空腹。

3連コンボで、指導などではなく、子どもたちをやっつけよう、懲らしめよう、というやる気がムクムクと湧いてきた。

昨日読んだ、マキャベリ君主論の影響もあるかもしれない。

昨日、揉め事2件。

 

渦中に同じ子がいる。

昨年度の申し送り事項のある子だ。

 

教室にいることができず、友達関係のトラブルが多かったらしい。

 

本日は友達とのトラブル2件。

 

どちらも私がちょっと目を離した時のことだ。

 

昨日の授業は今ひとつ泣かず飛ばずであった。

 

ここ最近、私は彼を褒めて褒めて認めて認めてを繰り返している。

それゆえに彼はずっと私の前で気を張っているのだろうか。

 

褒めるという、一見温かな行為も

条件付きで相手の存在を認めることを宣言しているようなもので

「いい子でいろよ」

という暗黙の圧力に容易く変質する。

そのその圧力の反動が友達に向かったのだろうか

 

そして、本日4時間目。

別な男子数名が、ふと目を離した時にじゃれ合う。走り回る。

私がドカンと炸裂した。

 

係活動の中弛みした時間。

今朝は朝から授業がピタリとハマり、4時間目の学活の時間のデザインは実に大雑把なもので、完全に油断していた。

 

昨日からの不安と、疲れと、給食前の空腹。

3連コンボで、指導などではなく、子どもたちをやっつけよう、懲らしめよう、というやる気がムクムクと湧いてきた。

昨日読んだ、マキャベリ君主論の影響もあるかもしれない。

人に危害を加えるときは,復讐のおそれがないように,徹底的にやらなければならない.

 

うん。まさしく、この怯えが顕在化した子どもへの恫喝。

謝りはしたものの。いい加減、やめたい。

やめたいと思うことをやめてみるか。

こちらの要望を全て聞いてくれたのね。ありがとう。ごめんね。

「おはようございます!」

教室に入るとそこは異世界であった。

 

わざわざ、私の前に来て、一礼しておはようございますを言う子もいた。

 

異世界召喚

 

そんな言葉が頭をよぎる。

 

さらに

「あ、これやってあげよ…」

自分のものではない自己紹介カードを教室後ろの、掲示コーナーのクリアフォルダーに粛々と入れる子もいた。

 

そして…

「お願いします」

と、健康観察票をもってきて、私がチェックすると

「ありがとうございます」

と、頭を下げて去っていく。

 

子どもたちは痛々しいほどにこれでもかというほど、昨日の私の欲求不満を満足させてくれた。

 

私はもう、ご機嫌で

「おお、おはよう!ありがとねえ」

などと、せっせと健康観察票にチェックをしていく。

 

朝の会の話も

授業も

終始リアクションがあった。

 

2時間目の体育

その場で思いついたグループ対抗障害物リレーでは、協力と熱狂が。

 

3時間目の算数

超絶苦痛な1億の以上の数について、教科書通りの流れで流して

「もっとやりたい!次の時間もやりたい!」というリピーターが現れ。

 

4時間目の国語

白いぼうしの場面分け。

グループでの議論。それでもどこで分けるのか、紛糾したときに

「松井さんと女の子役を決めてその場面の再現をしてみたら場面の切れ目がわかるんじゃない?」

と持ちかけると役者志望の子がクラスの5分の2くらいが手を挙げた。

3パターンくらい演じさせるも大盛り上がり。

 

5,6時間目は読書。

私は、寒々とした不安を感じることなく

1日を終えられた。

 

 

子どもは大人のあやし方を知っている。

 

 

昨日、私は子どもたちにタダをこねた。

緊張と束縛と焦燥に駆られた子たちが平和的な解決に向けて、今朝から動いてくれた。

 

なんか、ごめんよ。疲れたでしょう。

明日は先生が頑張るからね。

自然体で、自分の中から出てくる関わりをそのまま出す

相変わらず反応薄味である。

 

リアクションに関して、聴き手の作法として

あ…ああ!

い…いー!

う…うーん?

え…えっ!

お…おおお!

 

などと、リアクションを促すものの

結局

分かりきっていること

さして興味のないことには

大したリアクションは起きないのだ。

劇団員のようにリアクションできる子達に仕上げることもある程度は必要だと思う。良い聴き手の多いクラスは心理的安全性も高くなり、発言も活発になり、学びも多くなると考えるからだ。

ただ、子どもたちを劇団員に仕上がることばかりではなく、素のリアクションを引き出す努力が第一に優先したいところだ。

 

さて、授業のこともさることながら、まだまだ生活そのものが安定しない時期である。みんなお互いを伺っていて、出方を見ている時期だ。

そんな中、本日から給食、掃除、6時間授業の3セットである。

そりゃきつい。

「今日から6時間授業ですが、今どんな気持ちですか?」

朝の会で尋ねると

「なんだか、疲れそうだなあって…」

と、何人かの子が答えてくれた。

 

そう。6時間、集団で過ごすのは疲れる。

未知の文化の中に身を投じる。

それは、担任も然り。

 

疲れのせいにしてはいけないが、子どもを怒鳴ってしまった。

給食当番を終え、教室に戻ると掃除の進捗具合が芳しくない様子が入ってすぐにわかった。

そんな中、私に興味を持って話しかけてくれた子どもが、教室についてもまだおしゃべりをやめず

「ねーねー、先生って子どもいるん?」

イラッときてしまった。そのキャラ嫌い。何その聞き方。である。

「ごめん、もう掃除始まってるから、また後で」

「え、そんなこと言ったらキリがないですやん」

やりとりが全く成り立っていないのだが、その時は自分が圧倒的な正論を言っているのだから、とにかくつべこべ言わずにやれ!という苛立ちと

長年連れ立った友人のような馴れ馴れしい絡みに、拒絶反応を示してしまった。

「あのね、今みんな掃除やってるよな?

 こうしてお喋りしている間にもやってくれてんだよ。」

「…はい」

彼は先程までと違い、真剣な面持ちで、目が泳いでいる。十分、事態を察知し、自分が虎の尾を踏んだことを理解していた。ここでやめておけばいいのに、追い討ちをかけてしまった。

「分かったら、しゃべってないでとっととやれ!!」

このダメ押し怒鳴りは完全に必要なかった。

不愉快な思いをした分、完膚なきまでに相手の自尊心を打ち砕き、二度とこのようなやりとりをしたくない、という思いがあった。そして、それとは別にもっと追い詰めて泣かしたれ…という、なんとも不気味でジメジメした嗜虐心もそこにあったと思う。

うん。これは疲れのせいだ。

去年も4〜5時間目に、こういう苛立ちを子どもにぶつけてしまう失敗が多かった。

多分、私はお腹が空いている時、ご飯を食べた後、先生らしいことは、何一つしたくないのだ。

腹減ったー!といって、ダダをこねたいし

ご飯食べたから眠い〜と言って眠りたいのだ。

それが出来ずに、つまらないやり取りに時間を取られるのが我慢ならないのだろう。

こうして書き連ねると、いよいよ教師に向いていないし、実に利己的でしょうもない人間に思える。が、問題はそこではない。

今はそういう自分だと仮定して、そういう自分と、どのようにして付き合えばクラスの子どもと今日のような悲劇的な絡みをしないで済むのか考えることが、事態を好転させる鍵だと思う。方法は以下の3つが考えられる。

 

①4,5時間目は、重たい授業は入れない。

→本日は重たい授業を入れなかった。

②子どもに自分の特性を話し、理解を求める。

③補欠に入ってもらう。

 

本日、既に①を実行していたので、②を実行してみるか…。うーむ、勇気がいる。

ただ、今日のように怒って自分の苛立ちをぶち撒けることはやめて、とりあえずアイメッセージでお願いすることを心がけよう。おお、極端な3択を考えたら、第4の選択肢が湧き出てきた。

煮詰まった時の対処法として、選択肢を考えることはよいかもしれない。

 

さて、話を今日のできごとに戻す。

掃除は5時間目が始まる時間に食い込み、私は不機嫌の局地にいた。

「んーー。今日の掃除はみんなの本気?全力?」

掃除に全力な子どもたち、というのもなんだか不自然極まりないが、こんな聞き方をしてしまった。

その後は長々と話をしたが、要するに

 

①掃除中に休むなんてあり得ない。

②掃除の目的は、自分たちの教室をきれいにすることなんだから、自分で考えて行動しろ。

③先生が掃除をしろというから、やる。そういう客でいるな。

 

こんなところだが、あまりに話が下手すぎて、伝わっていなかった気がする。

明日また、伝え直すか。

 

ただ、子どもたちも気を遣ったのか、5時間目の理科の時間はわずかだったが、いいリアクションがいくつか、ほろほろと出てきた気がする。

なんだかなー。

 

とにかく、冷静さを欠いてしまうとダメだな。

 

子どもに伝えたいこと。

お願いしたいこと。

 

それらをうまく整理して、子どもたちを抑圧することなく伝える。

それは、きっと目の前の子どもたちをよく捉えねばなかなか成し遂げられないだろう。

 

曇りなき眼で見定める

 

結局、そういう話になるのかも。

しーん…

本日、国語の授業をした。

「春のうた」

詩の授業だ。

 

滑り倒した。

しーん…という耳をつんざくような沈黙が幾度となく訪れた。

 

私の問いに対して無口になる子どもたち。

なんとか勇気を振り絞って発言する子が出ても周りの子の反応は薄い。発言した子は気まずそうに座る。

 

答えづらい問いだった。

正解のない問い。

そして、私のしゃべりが多すぎた。

 

何より、慢心していた。授業の展開、問いかける言葉をもっと明確にしておくべきであった。

 

グループでカエルの気持ちを考えて

「ケルルンクック」

を朗読してみよう!

 

などと

力づくで無理矢理な展開に持っていった。

 

グループでの話し合いは

私が中に入って、

「どう?カエルの気持ちはどんな気持ちだと思う??」と、フルパワーでハイテンションで聞いて回って、やっと少し笑顔が見られた。

苦しい。教師が頑張りすぎな授業。

子どもたちも私の暑苦しい絡みに辟易していただろう。

 

もっとわかりやすい言葉で、

惹きつける言葉で

惹きつける具体物で

 

教師は言葉は少ないのに

子どもたちの熱量が勝手に高まっていく

そんな授業をしていきたいものだ。

 

さーて。

もっと勉強しよう。

 

あの子達が目を輝かせて熱中している姿を見てみたい。

 

次は言葉を最低限に絞り込み

教材で惹きつけ、子どもたちのリアクションを引き出そう。

 

私は喋らない。

ニコニコしてよう。

なるほどなるほど

子どもたちとの出会いから2日目。

給食なし4時間授業の日。以下のことを行った。

 

⓪プレ朝の会

①自己紹介カード作成

②からの私は誰でしょうクイズ

③教科書配付

④国語の詩の視写

⑤休み時間:増え鬼

⑥47都道府県の漢字テスト 自習

⑦日直の仕事決め

帰りの会の内容決め

⑨窓の開け閉め、黒板消し、電気をつける・消す、机整理などの責任者決め。

 

なんというか、静かすぎて、メリハリが効きすぎて、淡白にサクサク進んでしまった…という印象。

 

昨日、呼名を待たずして学校便りを受け取った彼は、本日とファインプレーを連発していた。

リアクションが絶妙で、教師の問いかけによって起こる、お見合い的な淀みを一掃してくれるのである。

 

その時歴史は動いた、どころの騒ぎではない。間違いなく、「その時、彼がクラスを動かした」瞬間がたくさんあった。

 

職員室に帰って、報告すると訳知り顔で

「彼が良い方に転ぶ時は、すごくクラスにプラスになるんだよね〜」

と、宣う教員がいた。

 

「あー、ですよねー」と言いつつ

暗に「最初だから頑張ってるんだよ」と、水を差されたようで、なんだかがっかりとした気持ちになった。

そして、猛烈に彼に肩入れしている私がいた。

 

うっせぇわ!

あなたに何が分かる。

彼の粋がらずにいられない弱さや悲しさ。

おちゃらけてみる虚しさ。

薄っぺらな言葉に込み上げる怒り。

そういう、諸々の七転八倒を一括りにして

「良い方に転ぶ」ってなんだ。

誰も転ばせてない。

今日は彼が「そちら」に向かった。

彼にとっても、彼が所属する集団にも「良い方向」に向かおうと、彼の意思で、彼自身の足で向かった。

少なくとも、今日私はそう感じていた。

 

昨日の私が聞いたら驚いて腰を抜かすだろう。

昨日の私は彼のせいで、出鼻を挫かれたと思っていたから。

 

つまり、心とはこれだけ振れ幅がある。

弱さというよりも、本当に脆くうつろい易いものなのだ。

ひと時として同じように在れない。

 

カッツンカッツンとぶつかり合う2つの球状の振り子のように。

高い位置エネルギーを運動エネルギーに変え、衝突により、もう一方は新たなエネルギーを得る。

 

我々の心が本当の意味で安定してしまったら、それは鬱病の末期である。

心の熱エントロピーは絶えず上下しているがゆえに、動的である。

 

多分そうだ。

 

今年は初任の子が私の職員室の席の目の前にいる。

彼がもし、クラスでいいことがあったと報告してきたら全身全霊をもってこう言おう。

「それは嬉しい。とても喜ばしいことだね」

その一言でいいんだ。

出会い 第一印象

始業式、着任式で、去年のクラスの子達と別れ、今年のクラスの子達と出会った。

 

子どもたちから見た私の第一印象は、どのようだったろうか…という疑問はとりあえず傍に置いて

私自身と子どもとの出会い方、関わりについて。そして、そこで感じたことについて、書き残しておこうと思う。

なるべく、このブログでは自分が感じた印象(主観的な事実)をさも客観的事実のように語ることは避けたい。あくまでも印象は主観であり、事実ではないのだ。

 

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さて、まずは旧クラスの子どもたちの登校である。

涙涙のお別れになるかと思いきや、子どもたちはとにかく誰と同じクラスになるのか気になっているようだった。

旧クラスの子どもに名簿を渡す際

「担任の先生は誰でもいいからとにかく1組になりたい」

と言っている子どもを見て、やや冷めた気持ちになった。

「また、先生がいい!」

という言葉を少し期待している自分がいた。

寄せ書きに「来年度も先生と一緒のクラスがいい」と書いてあったから、それを鵜呑みにしていた。

 

そうこうしている間に、整列が済み、始業式、着任式が始まる。

 

担当クラスと自分の名前を呼ばれて、そのクラスの前に行く。

「それでは、1年間お世話になる先生に挨拶をしましょう!せーの!よろしくお願いします!」

と、校長先生が言うと、前にいる何人かが

「よろしくお願いします」

と、言ってくれた。

 

その後、学校便りを配布するため、校庭の隅に移動する。

「では、こちら(遊具側)に行きましょうか。前の人たちにも伝えてくれる?」

そう言うと、特に躊躇いもなく子どもたちは前の子たちに、「こっちだよー」「移動するよー」と声かけをしていた。

ひとまず、横のつながりは大丈夫そうかな、と一安心して子どもたちを集める。

ここでも、驚いた。

「はいじゃあこの辺に集合…」と、雑な指示を出すと、

子どもたちはなんと、4列になり適度な距離感で座った。

お行儀がいい子たちだなあ、と思うと同時に

列を崩して前に行く…集団の中で悪目立ちするのが嫌な子が多いのかな、などと、考える。

 

その後、

「自己紹介はまた明日しましょう。これから学校便りを配ります。名前を呼ばれたら『はい』と返事をして、受け取りに来てください。」

と指示を出す。

 

4,5人くらいの子は

「はい!」と短く、大きな声で返事をしてくれた。

その度に、「お、短くていい返事だね」などと、声をかける。

そして…

「◯◯さん。」と、呼ぶとその児童は立ち上がり、既に私のすぐ近くに来ていた。

全然気づかずに動揺した。周りの子は「もう来てるし」などと、クスクス笑っていた。

 

「◯◯さん?」

「あ、はい。僕、頭いいんで、頭いいでしょ?」」

「はい、学校便り。呼ばれたら来てくださいね」

と、言うのが精一杯であった。

 

暗澹たる気持ちで残りの子の名前を呼ぶ。

 

さっきまで、お行儀のいい子達だなどと、思っていたのが嘘のようである。

なんだか覇気もないし、小さな返事は教師を小馬鹿にしているような態度に見えてくる。

 

全員の名前を呼び終え、学校便りを渡し終える。

 

「とりあえず、明日のことで何か質問はありますか?」

 

と、聞くと2人手が上がる。

1人はなんと、彼だった。

「あの、ノートとかってどうしたらいい?」

彼は先程のことは何事もなかったかのように聞いた。

いい質問だった。

「ノートは明日配る学年便りに、指定したノートが書いてあるので、それを見てから買った方がいいかな」

彼はうなずいて聞いていた。

「では、ほかに質問なければ、帰りましょうか」

やったー!などと小さな歓声が上がる。

 

「さようなら、なんだけど、よくさようならって言い終わらないうちに、帰ってしまう人がいるけど、それは寂しいからやめてほしいです。

さようならとみんなで挨拶したら、先生からさようならを言いますので、それを聞いてから帰ってください」

と、伝える。

「では、起立!」

そこまでだらけた動きではない

「おお、なかなか素早い動き!もう少し早くいける?もう一回。リテイク」

例の彼が、苛立った表情を浮かべたように見えた。

「では、起立」

先ほどより早い。

「おお、素晴らしい!」

などと、大袈裟に驚くも彼らは特に嬉しそうでもない。

「さようなら」

「さようなら」声が小さい。まばらである。

「はい、さようなら」

 

こんな感じでお別れをした。

 

最初の印象としては、去年の子たちよりも大人しそうであること。

そこまで人懐っこい子達でないなあ、という印象。

 

まあ、あくまでも印象である。事実ではない。

明日、私は彼らの真実に出会うのだろうか。

少し怖いような、楽しみなような。

なんとも新年度らしい不安感である。この不安が彼らとの信頼関係を構築していくうちに小さくなっていくのだろうか。

…いや、きっとないな。